Halenネタ続き2。
今日ももう少しAoCの当時の歴史の続きを。
はっきりいってネタが多すぎて纏めるのが難しい。


とりあえず有名プレイヤーやその時のチャンネルについての歴史の2000年当時。


昨日も書いたが、AoKを起動して即繋げられるのがZoneだった為、
Zoneは初心者プレイヤーが多く集まっており、
IRCRoRから続いてやる人が多かった為、既に強い人が多かった。


そしてまず初期にプレイヤーとして有名だった人は、
RoRで既に神として称えられていた、現4GamersのライターであるTAITAI氏である。
そのRoRでは、上手いプレイヤーと呼ばれていた人を、
3v1でもボコったりしていたと噂に聞いていたTAITAI神だが、
AoKの初期でもダントツの強さを誇っていた。
ちなみにTAITAI氏が大陸マップからアラビアマップを推奨したのが2000年の1月頃で、
私がプレイしだした頃のZoneでも、
段々とアラビアが主流になっていったのを覚えている。
それ程発言にも影響力があったプレイヤーということ。
そしてそのTAITAI氏主催となって2000年の4月にはTAITAI杯というH2Hの大会も開き、
参加人数もかなりに上って盛況だった。
個人的にもZoneでなら既にかなりの強さになっていたので、参加してみたのだが、
一回戦でピックアップとしてコメントを受けていた選手と当たり、*1
そこそこ善戦するものの敗北でその時は終了。
準優勝したのはコメントすら受けてない人だったウェンリーナーさん*2で、
ピックアップのコメントでもトップの得点だったyokowakeさんが優勝という結果だった。
この辺の話を知っている人がいたら滅茶苦茶懐かしがるだろう。


しかしまだまだ国内だけの話で、海外を含めた大会などは無い、古きよき時代。
ただそんなAoKでもZoneではRateingルームという専用部屋があった。
ここでは海外の人も含め、初期は1600という数値のレートで開始され、
勝つと上がり負けると同じだけ下がるという専用部屋。
*3
しかし、2000年上半期はそれ程活気はなく人もまばらだったように思える。
その状態を変えたのが2000年9月に第一回が行われたWCG Challengeとなる。


実はその当時日本ではこのWCGについて全く話題になっておらず、
詳細も調べてみたが、2000年の大会については記述が殆ど残ってない為、
誰が優勝したかまでは分からない。
だがこの頃からRateingルームでダントツのレートを残していたのが、
韓国人で後にプロとなるArch_Kovenであり、
韓国・ソウル開催であったChallengeで優勝したとしたら、
この人以外は居ないだろうという強さを誇っていたのである。

*1:ただしTAITAI氏が自分の強さを100とすると80くらいというコメントだったか

*2:実は女性疑惑もあったプレイヤーである。最も最後まで詳細はわからずじまいだったが。

*3:ただ現行RTSでよくある自動マッチングなどはなく、対戦用のルームをホストが作成し、相手が来るのを待って両者納得してから開始という形式だった。