Halenネタその9。
その10+纏めページで終了予定。


アホアホだけ言ってるとHalenに殴られそうなので今回は逆に持ち上げネタ。
2001年のWCGは確かに予想外の予選敗退で帰って来た訳だが、
そんな中でもHalenはキッチリと収穫を得てきていた。


海外の選手らと動き的には遜色が無かった日本勢だが、
操作的には明らかに異質だったらしい。
それは左手の動きが殆ど無かった事。
当時は手の動きが見えるプレイ動画など全くなく、リプレイを見ることで、
同じ操作をそれぞれどうにかして考えていく形だったのだが、
日本では上級者達も含めてショートカットが殆ど使われてなかったのだ。
当時のオフ会でも、Halenがこの話を半ば興奮気味に話していたのを覚えてる。
「左手がピアニストみたいにすげーはえーんだよ。アレは真似しないとなぁ。」
Halen自身もこの時点の操作では、中心への移動のHと農民生産のC、
後はCTRL+数字以外はショートカットを使ってなかったのだが、
この後はショートカットの設定を全て変更し、左手を動かすようになっていく。*1


このショートカットもいつもの如く凄まじい勢いの練習で身に付けるHalen。
そして新たに追加したこのショートカットという武器の切れ味を確認すべく、
オンラインで行われている海外の大会に次々と出場したのだった。


Halenは圧倒的だった。
2001年の時点で既に神技とも呼べる程のマウス操作に加え、
ピアニストのような左手技をも身に付けたHalenは正に無敵だった。
出場する大会を殆ど全て総なめにし、
この時点でHalenの伝説とも呼ばれる強さが完成したのだった。


この後はWCG2002へと話が進んでいくのだが、
実はもう1つ難関が立ちふさがる事になる。
それは2001年の結果が思わしくなかったのか、スポンサーが現れず、
WCG2002では日本予選を行う事すら危ぶまれている状況だったのだ。


しかし、海外の大会を軒並み総なめしているHalenを無視することはできず、
現行も活躍している犬飼さんらスタッフの活躍もあって、
なんとか1枠だけだが、AoCの日本枠をねじ込んでもらえたのだった。


以下この頃の小ネタ。
先日のお祭り男、ziburiがメインとなって、
「遊牧」と呼ばれる初期中心なしの農民ランダム配置スタートで、
中心を立てることから始めるゲームをやりまくっていたのだが、
同時期にHalenも遊牧にハマり、
WCGで友達となっていた韓国のiamgruntまで呼んで来てやりまくっていた。
他にも遊牧マスターのkaparaやらlainやら、他のメンバーも強烈で
恐らく世界で最も高レベルな遊牧ゲームだったと思われる。
遊牧は(RNもそうだが)初期に中心がない為、
ゲームを安定させるために初期の農民の殴り合いはなしやら、
中心が隣合った場合は干しなおし等の、
ローカルルールが適応されるのが通例なのだが、
この時の遊牧は全てがありで、海あり、陸あり、
隣り合いの中心攻撃もあり、勿論いきなりの殴り合いまでありで、
Halenはよくgruntに「kill grunt!」とかいいながら
いきなり殴りにいってたものである(笑)。
そのくせ後半まで縺れると二人ともキッチリ復活してたりしたのだが。
画一的な戦況になりやすいアラビアゲームだけでなく、
こういった戦況状況がカオスになるゲームもやりまくる事により、
いかなる状況においても最適に近い判断を下す事が可能になっていったのも、
2002のWCGで圧勝する要因となった気がしないでもない。

*1:逆にいうと、マウス操作で早くから一段抜けてたのが日本勢だったとも言える。最も私は当時の時点で既にトラックボーラーだったが。